杉内俊哉の年棒と成績を徹底調査!プロ野球史上最大の大減俸の理由は?

2018年に現役を引退した杉内俊哉さんですが、選手時代の年俸はどのくらいだったのでしょうか?

今回は杉内俊哉さんの年俸と成績を徹底調査!

プロ野球史上最大の大減俸になった理由などもまとめました。

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杉内俊哉のプロフィール

出身:福岡県大野城市

生年月日:1980年10月30日

身長・体重:175cm/82kg

ポジション:投手

投打:左投左打

背番号:18

出身:三菱重工長崎

2001年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスより3巡目指名を受け入団。

2005年には最多勝・最優秀防御率を記録し沢村賞を受賞。2008年には最多奪三振を獲得し、ホークス左のエースとして活躍しました。

2011年オフにFA権を行使し読売ジャイアンツに移籍。

2012年5月30日の楽天戦では、史上75人目のノーヒットノーランを達成するなど活躍しました。

2015年7月23日に股関節痛により戦線離脱すると、2016年まで一軍登板は無し。

2017年、2018年は公式戦登板は無しに終わり、2018年オフに現役引退を表明。

17年の現役生活の中で、日本代表には5度選出されました。

杉内俊哉の年俸と成績

それでは杉内俊哉さんの年俸と成績をまとめていきます!

年度 年俸 差額 球団
2002 1500万円 ダイエー
2003 1500万円 ±0 ダイエー
2004 5300万円 +3800 ダイエー
2005 4000万円 -1300 ダイエー
2006 1億5000万円 +1億1000 ダイエー

2001年のドラフト会議で福岡ダイエーホークスより3巡目指名を受け入団。契約金1億円、年俸1500万円で契約しました。

2002年は開幕三戦目でプロ初登板・初先発し初勝利を記録。しかしその後はプロの洗礼を受けこの年は2勝で終わります。

2003年は先発ローテーションに定着し10勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。日本シリーズでは阪神から2勝を挙げ日本一に貢献し、シーズンMVPを獲得しました。

2004年は6月1日の千葉ロッテ戦で満塁本塁打を打たれた悔しさのあまり、素手でベンチを殴打し両手の小指付け根を骨折。この影響でシーズン中は復帰できず、10試合2勝・防御率7点代と不本意な成績に終わりました。

2005年は200奪三振を達成し、18勝・防御率2.11で初の最多勝・最優秀防御率を獲得。パ・リーグ左腕投手史上初の沢村賞も受賞し、MVPにも選出されました。

2006年は3月開催の第1回WBCの日本代表に選手され、2試合に登板し0勝1敗・防御率5.40を記録。シーズンは中盤以降失速し、規定投球回数に届かず7勝に終わりました。

年度 年俸 差額 球団
2007 1億2000万円 -3000 ダイエー
2008 1億9000万円 +7000 ダイエー
2009 2億3000万円 +4000 ダイエー
2010 3億円 +7000 ダイエー
2011 3億5000万円 +5000 ダイエー

2007年は15勝を挙げ2年振りに2桁勝利を記録し、先発の軸として活躍。

2008年は10勝を挙げ2年連続2桁勝利を記録。さらに3年振りの200奪三振を達成し、最多奪三振を獲得しました。

2009年は第2回WBCの日本代表に選出。シーズン中は4月5日のオリックス戦で史上122人目の通算1000奪三振を達成し、2年連続の最多奪三振と最優秀投手の二冠を獲得しました。

2010年は16勝を挙げ4年連続2桁勝利を記録し、さらに3年連続200奪三振も達成しました。最多奪三振は逃したものの、2年連続で最優秀投手のタイトルを獲得。

2011年は6月18日の横浜戦で通算1500奪三振を達成。さらに7月9日のロッテ戦で通算100勝を達成するも、5年ぶりに2桁勝利を逃しました。

同年オフにはFA権を行使し、12月19日に読売ジャイアンツと4年総額20億円で契約を結び移籍。

年度 年俸 差額 球団
2012 3億5000万円 ±0 巨人
2013 5億円 +1億5000 巨人
2014 5億円 ±0 巨人
2015 5億円 ±0 巨人
2016 5000万円 -4億5000 巨人
2017 5000万円 ±0 巨人
2018 2500万円 -2500 巨人

2012年は4月1日に移籍後初登板し初勝利。5月30日の楽天戦では史上75人目となるノーヒットノーランを達成。左肩違和感による登録抹消もあり、最終的に12勝・防御率2.04に終わったものの172奪三振で史上初となる両リーグでの最多奪三振を獲得しました。

2013年は第3回WBCの日本代表に選出。シーズン中は11勝6敗・防御率3.35に終わりました。

2014年は7月12日の阪神戦で史上最速で2000奪三振を達成。シーズン中は最終的に10勝を挙げ、移籍後3年連続2桁勝利を記録しました。

2015年は5月終了時点まで5勝を挙げたものの、股関節痛により7月23日に戦線離脱。そのままシーズンを終えて10月1日に右股関節の手術を受けます。9年ぶりに規定投球回に到達しませんでした。

同年オフの契約更改では、今季年俸の90%となる4億5000万円減の5000万円+出来高の単年契約でサインしました。

2016年は前年の右股関節手術のリハビリを夏まで行い、7月19日に三軍戦で1年ぶりの実戦登板を果たすも一軍登板はなしに終わります。

2017年、2018年も公式戦登板はなしに終わり、2018年9月12日に記者会見を開き現役引退を表明しました。

【なぜ】杉内俊哉 プロ野球史上最大の大減俸の理由は?

前述の通り、2015年オフの契約更改で今季年俸の90%となる4億5000万円の大減俸でサインをしました。

この大減俸はプロ野球史上最大の減俸となっており世間を驚かせましたが、一体なぜこのような大減俸になったのでしょうか?

調べたところ、なんとこの大減俸は杉内俊哉さん本人が申し出たことなのだそうです。

2015年の10月1日に右股関節の手術を受けた杉内俊哉さんは、来季の開幕には間に合わないことが確実でした。

そのため杉内俊哉さんは

「私から球団にお願いし、来年度については基本年俸をギリギリまで抑え、出来高で評価していただくことで了解をいただきました」

と、自ら減俸を申し出たことを文書で明かしています。

ソフトバンクから移籍した理由は年俸に納得いかなかったことでしたが、この減俸の件も含めて自分の成果と報酬をきちんと評価できる方なんだなという印象を持ちました。

まとめ:杉内俊哉の年俸がすごい

杉内俊哉さんの年俸と成績についてのまとめは以上です。

多くの記録と共に増減してきた年俸でしたが、杉内俊哉さんの人間性が垣間見えるエピソードもありました。

現在はジャイアンツのコーチをされていますが、今後もがんばってもらいたいですね!

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