新井貴浩の年俸推移と成績を徹底調査!大暴落とFAでツライさん?

2018年に現役を引退した元広島・新井貴浩さんですが、プロ失格とも言われるレベルから日本を代表するバッターになった経緯があります。

では、新井さんの進化の過程で年俸はどのように推移したのでしょうか?

今回は新井貴浩さんの年俸推移と成績を徹底調査!涙のFA移籍や広島出戻りの真相もご紹介します。

新井貴浩のプロフィール

出身:広島県広島市中区

生年月日:1977年1月30日

身長・体重:189cm/102kg

ポジション:一塁手・三塁手

投打:右投右打

背番号:25

出身大学:駒澤大学

1998年のドラフト会議で広島カープより6位で指名を受け入団

2001年からレギュラーに定着し、「ポスト江藤」として活躍。2005年には本塁打王を獲得しました。

2007年オフにFA権を行使して阪神タイガースに移籍。移籍初年の2008年には一塁手部門でゴールデングラブ賞を獲得し、2010年からは阪神の4番打者としても活躍。2011年は打点王のタイトルも獲得しました。

2014年オフに阪神を退団し自由契約選手となり、広島カープに出戻り。2016年の広島カープ25年ぶりのリーグ優勝にも貢献し、同年は史上最年長でリーグMVPを受賞しました。

2018年9月5日にシーズン限りでの現役引退を表明。11月3日の対ソフトバンク戦を最後に現役を引退しました。

新井貴浩の年俸推移と成績

それでは早速、新井貴浩さんの年俸推移と成績をまとめていきます!

年度 年俸 差額 球団
1999 600万円 広島
2000 800万円 +200 広島
2001 1500万円 +700 広島
2002 2200万円 +700 広島
2003 4500万円 +2300 広島
2004 4000万円 -500 広島
2005 3800万円 -200 広島
2006 8800万円 +5000 広島
2007 1億2300万円 +2500 広島

1998年のドラフト会議で広島カープより6位指名を受け入団。大学通算2本塁打で守備にも課題があった新井貴浩選手の指名は周囲が驚くものでしたが、「将来の4番候補」として期待されていました。。

1999年は新人ながら53試合に出場し、105打席7本塁打を記録。また、同年オフに4番打者の江藤智選手がFA権を行使し巨人に移籍したため、「ポスト江藤」として期待されるようになります。

2000年は特別強化指定選手に指名され、92試合に出場し16本塁打を記録するなど活躍。

2001年は規定打席にわずかに届かなかったものの、レギュラーに定着。124試合・打率.284・18本塁打・56打点を記録しました。

2002年は全140試合にフル出場し、28本塁打を記録。プロ入り初の規定打席にも到達し、オールスターにも初出場します。

2003年は前年オフにFA権を行使し阪神に移籍した金本知憲選手の後を継ぎ4番打者を務めました。しかし打撃不振に陥った後半戦からはアンディ・シーツ選手に4番を譲り、打率.236・19本塁打と前年より成績は低下。

2004年も前年からの打撃不振を引きずり、最終的に103試合の出場に留まり規定打席に到達せず。打率.263・10本塁打の記録に終わりました。

2005年は打撃フォームの改造が功を奏し、打率.305と自身初の3割超を記録。さらに43本塁打を記録し本塁打王も獲得。一塁手部門で初のベストナインも受賞しました。

2006年は開幕前3月に行われた第一回WBCの日本代表に選出。シーズンでは本塁打は25本と前年を下回るも、打点は前年を上回る100打点を記録しました。一方で四球数の少なさから選球眼の悪さを指摘されます。

2007年は自己最多の55四球を選び、28本塁打102打点を記録。守備では三塁手としてリーグトップの守備率を記録しました。シーズン終了後は北京オリンピックアジア予選兼第24回アジア野球選手権大会に4番・一塁手として出場し、日本代表の五輪出場権獲得に大きく貢献しました。

また、2007年は国内FA権を取得し、前年までは残留の意向を示していたがオフにFA権を行使。12月11日に阪神タイガースへの入団が決定しました。

年度 年俸 差額 球団
2008 2億円 +7700 阪神
2009 2億円 ±0 阪神
2010 2億円 ±0 阪神
2011 2億円 ±0 阪神
2012 2億5000万円 +5000 阪神
2013 2億5000万円 ±0 阪神
2014 2億円 -5000 阪神

2008年のシーズン前半は好調で高打率を維持しチームの首位独走に貢献。4月12日には通算1000安打を達成しました。しかし前半戦終了間際に腰痛で登録を抹消。北京五輪はケガを押して全試合出場するも、帰国後は試合出場できず。8本塁打・59打点と前年より成績を落とすも、一塁手部門で初のゴールデングラブ賞を受賞しました。

2009年はシーズン全試合にスタメンでフル出場し、15本塁打・82打点を記録。しかしリーグワーストの20併殺打・出塁率.299・OPS.700に終わりました。

2010年は金本知憲氏がスタメン落ちしたことにより、移籍後初の4番に座ります。ほぼ全ての試合で4番を打ち続け、自己最高の打率.311・112打点・7盗塁を記録し、2年連続でシーズンフルイニング出場を果たしました。

2011年は序盤は好調だったものの、交流戦に入ると打撃不振に陥り4番を外れることも。しかし最後は4番に戻りリーグトップの97打点を記録し打点王を獲得

2012年は開幕を4番で迎えるも、慢性的な右肩痛の悪化で打撃不振に。弟の新井良太選手が4番を打つことになり、以降は6番・一塁での出場が主となりました。122試合の出場にとどまり、打率.250・9本塁打・52打点と阪神移籍後最低の成績でした。

2013年は開幕ベンチスタートとなったが、その後スタメン出場し通算1000打点を達成。オールスターゲームにも出場しMVPに選ばれる活躍を見せるも、後半戦は徐々に成績を落とし、終盤にはスタメンを外されることもありました。

2014年は同一ポジションのマロウ・ゴメス選手が加入し、4番争いに。春季キャンプでは調子が良かったものの、シーズンに入るとゴメスが4番・一塁に定着。代打・三塁控えでの起用がメインになり、オフには規約を上回る大幅減俸通告を受け、新天地を目指し自由契約を球団に申し入れます

2014年11月14日に広島カープとの契約合意が発表されるとともに、入団会見が開かれました。年俸は2000万円と阪神が提示した7000万円よりさらに下回るも、契約合意は即決だったと言います。

年度 年俸 差額 球団
2015 2000万円 -1億8000 広島
2016 6000万円 +4000 広島
2017 1億1000万円 +5000 広島
2018 1億1000万円 ±0 広島

2015年は開幕直前に右肘関節炎を発症して開幕ベンチスタート。右の代打起用がしばらく続くも、4月7日に復帰後初の4番・一塁でスタメン入りしてからは4番に定着。最終的に規定打席に到達し、打率.275・出塁率.349の成績を残します。

2016年4月26日に史上47人目の通算2000安打を達成。また8月2日には史上42人目の通算300号本塁打も達成します。その後も疲労回避のため先発を外れたりするもシーズンを通して4番に座り、シーズン終盤まで好調を維持。最終的に打率.300・19本塁打・100打点・出塁率.370・長打率.480・OPS.850の成績を残し、広島カープ25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献しました。

また、同年は15年ぶりにベストナインを受賞し、セ・リーグ史上最年長でリーグMVPも受賞。同一シーズンに2000本安打・300号本塁打・リーグ優勝・リーグMVPを達成した、本人曰く「夢のようなシーズン」となりました。

2017年は40歳で迎えたシーズンとなり、前年より出場機会を減らして代打など要所で活躍し球団史上37年ぶりのリーグ連覇に貢献しました。

2018年は開幕直前に左ふくらはぎを痛め、14年ぶりに開幕を二軍で迎えました。6月の週刊ベースボールマガジンに現役との別れを匂わせるコメントが掲載され、9月5日にシーズン限りでの引退を表明11月3日の対ソフトバンク戦を最後に現役を引退しました。

新井貴浩がFAした理由は?

2007年のオフにFA宣言をして阪神タイガースに移籍した新井貴浩選手ですが、前年までは残留の意向を示していました

それだけに突然のFA宣言はファンを動揺させ、移籍後初の対広島戦では大ブーイングを浴び、広島時代のレプリカユニフォームがグラウンドに投げ込まれるなど、ちょっとした騒ぎに…

一体なぜ新井さんはFA宣言してしまったのか…?

記者会見では

「自分を厳しい環境に置き、そこでどう変わっていくか、挑戦したい気持ちが出てきた。」

「辛いです。カープが好きだから。」

「FAなんてなかったら良かったのに…」

と涙ながらに理由を語っていました。

しかし後に新井貴浩選手が明かした理由は、また少し違ったものでした。

実は2002年にFA移籍した金本知憲選手の後を追いたいという理由だったそうです。

「もう一度金本さんと野球をしたい」という強い思いがありましたが、それを口にすれば金本選手本人に迷惑がかかると思い会見で語るのは控えたそう。

そのためFA宣言をした当初は複数の球団が獲得に乗り出したにも関わらず、新井貴浩選手は阪神への移籍を選んだということです。

まとめ:結局、新井は凄かった

新井貴浩さんの年俸と成績のまとめは以上です。

最初はドラフト6位と期待値の低そうなところからスタートし、地道に努力と成績を積み重ねてきた様子がわかりますね。

また年俸が大幅に減少するにも関わらず古巣・広島に出戻りしたことには、新井さんの強いカープ愛を感じて感動しました!