巨人・菅野智之はドラフト会議で日本ハムの指名を拒否!?

2度の沢村賞受賞やポストシーズン初のノーヒットノーラン達成など、今や巨人の絶対的エースとなった菅野智之選手。

伯父は巨人永遠の若大将・原辰徳監督であり、祖父は元東海大相模高校 野球部監督の原貢さんであることも有名なサラブレッド右腕ですが、巨人入団前のドラフト会議で事件があったことをご存じでしょうか?

今回は菅野選手が巨人に入団するまでの経緯をまとめてみました!

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菅野智之のプロフィール

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出身:神奈川県相模原市

生年月日:1989年10月11日

身長・体重:186cm/92kg

ポジション:投手

投打:右投右打

背番号:18

出身大学:東海大学

小学校に上がる直前の1995年10月18日に、伯父である原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで本格的に野球を始めました。

2011年のドラフト会議では、叔父・原辰徳が監督を務める巨人の単独指名が濃厚と噂されていたが、予想に反し日本ハムが強行指名し交渉権を獲得。1年の浪人を経て巨人への入団となった。

高校・大学時代の菅野選手の成績

東海大相模高校に進学後は2年秋から主戦として活躍。最速148km/hを記録するなどプロからも注目を集めましたが、甲子園出場は一度も果たせませんでした。

その後は東海大学に進学し、硬式野球部に入部。1年秋から主戦を任され、2年春からは4季連続で首都大学リーグの優秀投手を受賞。

2年時には第37回日米大学野球選手権大会日本代表と第25回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にも出場しました。

首都大学リーグでの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振。

祖父・原貢さんとのエピソード

菅野選手の母方の祖父は、東海大相模高校の野球部監督で、東海大学野球部名誉総監督の原貢さんです。

菅野投手はこの原貢さんの指導のもとで投手として成長していくのですが、よくぶっ飛ばされていたそうです(笑)

菅野選手がプロ野球熱血情報で語っていた主なぶっ飛ばされエピソード(笑)は以下のとおりです。

  • いとこ(野球をしていない)が祖父の頭を触っても何も起こらないが、野球をやっている菅野選手が触ると殴られた。
  • 高校最後の夏大会中、祖父にピッチングを見てもらっていた時「なんで投げなきゃいけないんだ」と思って投げていたらぶっ飛ばされた。

よく殴られていたようですが、「私情で殴ることはなかった」と菅野選手は語ります。

一流のプロ野球選手にするという気持ちが強かったそうで、菅野選手も「もちろん感謝している。おじいちゃんのおかげで強くなれました。」とコメントしていました。

2011年ドラフト会議での事件

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2011年のドラフト会議では野村祐介(明大)、藤岡貴裕(東洋大)と共に「大学ビッグ3」と呼ばれ注目を集めました。

当初は伯父の原辰徳さんが監督を務める巨人の単独指名が濃厚と噂されていましたが…

日本ハムの強行指名

ドラフト会議が始まり、予想に反して北海道日本ハムファイターズが菅野選手を1位指名。抽選の結果、交渉権は日本ハムが獲得しました。

予想外の展開に菅野選手も困惑を隠せず笑顔なし…

ドラフト後の菅野選手は以下のように話しています。

「今年1月1日からずっとこの10月27日を夢見て頑張ってきた。特別な思いももちろんありましたけど」と話すと、少し言葉に詰まった。「まあ…」と言いかけ、約10秒の沈黙。「ちょっと難しいですけど、無事に終われたというのはすごくホッとしてます」。困惑の色を隠しながら、真摯(しんし)にこう振り返るのが精いっぱいだった。

日刊スポーツ

また、祖父の原貢さんが事前挨拶なしの1位指名を「人権蹂躙」と非難する騒動。

交渉権獲得後の日本ハムは菅野側と接触を試みますが、この日は連絡が取れませんでした。

菅野選手は11月7日には日本ハムの指名挨拶に同席。「目先のことだけではなく、その先の野球人生を考えた上で判断したい」とコメントしましたが、21日には日本ハム入団を拒否する意向を表明しました。

交渉権を獲得した日本ハムは、2011年はダルビッシュのポスティング移籍による退団の可能性があり先発投手を補強したかったため強行指名に出たとも見られています。

そして、事前挨拶なしは入札前の拒否と他球団への情報漏洩を防ぐ球団の戦略だったそうです。

入団拒否後の菅野選手は…

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日本ハムへの入団を拒否した菅野選手はどのような道を選択したのでしょうか?

卒業延期制度を利用して野球浪人

菅野選手は東海大の卒業延期制度を利用し、野球浪人する道を選びました。

社会人野球や国内独立リーグ、海外のプロリーグに進んだ場合は2年間指名を受けることができないためです。

大学の施設を利用して自主練習に励み、翌年のドラフト会議を待つこととなりました。

浪人中は対外試合などに出場することができないため、練習拠点は東海大野球部となりました。

実践感覚から遠ざかることを防ぐため、投げ込みやチーム内の紅白戦、シート打撃に登板しました。

また、大学野球だけではなく、高校野球や日本プロ野球、メジャーリーグなどを積極的に観戦し、野球選手としてプラスになったと菅野選手は語ります。

そして2012年のドラフト会議…

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運命の2012年ドラフト会議です…!

ついに巨人が交渉権を獲得!

2012年10月25日に開催されたドラフト会議。

当初は横浜DeNAや楽天も指名の可能性を公言していましたが、結果は巨人の単独1位指名。ついに巨人との交渉権獲得を果たしました!

ドラフト会議後は伯父である原監督が東海大を訪問。背番号「19」と名前の入ったユニフォームに袖を通しました。

その後、11月21日に契約金1億円+出来高5000万円、年俸5000万円で仮契約を締結しました。

まとめ:指名を拒否するほどに強かった菅野の巨人への思い

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2度のドラフト会議を通し、菅野選手が無事、巨人に入団するまでの経緯のまとめは以上です。

「菅野騒動」と呼ばれることもあるほど、物議をかもしたドラフト会議でした。

日本ハムの行為は「強行指名」と言われましたが、まぁ「入団してほしい選手に入札して交渉権を獲得する」というのがドラフト会議。

「こういう選手は指名しちゃだめだよ」というルールもないので、あとはお気持ち次第というところですから、そんなに騒ぐものだったのかなぁというのが正直な感想です。

当の選手にも、自分の進路を選ぶ権利がありますしね。

今後の菅野選手の活躍に期待です!

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