中島宏之(裕之)の年俸推移は?引退の危機?巨人に移籍した理由は?

西武ライオンズで活躍してメジャーに行き、現在は日本に戻ってきて巨人で活躍している中島宏之選手。

今回は中島宏之選手の年俸推移を徹底調査!

その他、オリックスから巨人に移籍した理由や引退の危機との噂など詳しくまとめました。

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中島宏之のプロフィール

出身:兵庫県伊丹市

生年月日:1982年7月31日

身長・体重:180cm/90kg

ポジション:遊撃手・一塁手・三塁手

投打:右投右打

背番号:5

出身高校:伊丹北高等学校

2000年のドラフト会議で西武ライオンズより5巡目指名を受け入団

高校は無名でしたが、中島選手は対外試合で通算43本塁打を放ったことが西武ライオンズのスカウト陣の目に留まり指名に至りました。

松井稼頭央選手がメジャーに移籍した後の正遊撃手として活躍。タイトルは最高出塁率2回・最多安打1回を獲得し、ベストナインを4回、ゴールデングラブ賞を3回受賞した。

2012年オフに海外FA権を行使しオークランド・アスレチックスと契約。2年間在籍するも一度もメジャーに昇格することはありませんでした

2014年オフにオリックス・バッファローズと契約し日本球界に復帰。

2018年オフには読売ジャイアンツに移籍し現在に至ります。

中島宏之の年俸推移

年度 年俸 差額 球団
2001 600万円 西武
2002 600万円 ±0 西武
2003 600万円 ±0 西武
2004 1000万円 +400 西武
2005 3400万円 +2400 西武
2006 4400万円 +1000 西武
2007 7000万円 +2600 西武
2008 1億1000万円 +4000 西武
2009 2億1000万円 +1億 西武
2010 2億5000万円 +4000 西武
2011 2億8000万円 +3000 西武
2012 3400万円 +2400 西武

2001~2003年までは二軍生活が中心で、2004年に松井稼頭央選手がニューヨーク・メッツに移籍したことで同年の開幕から遊撃手としてスタメンに抜擢され一軍に定着

2006年オフには球団初となる守備での出来高払いが設定されました。

2008年は初タイトルの最高出塁率を獲得し、ゴールデングラブ賞とベストナインを初受賞。

2009年には第2回WBC日本代表に選出され優勝に貢献。シーズン中は2年連続となる最高出塁率に加え最多安打のタイトルを獲得ベストナインも2年連続で受賞しました。

年度 年俸 差額 球団
2013 325万ドル OAK
2014 325万ドル ±0 OAK

2012年オフに海外FA権を行使し、オークランド・アスレチックスと2年総額650万ドル+出来高で契約します。

しかし2013年のスプリングトレーニングで故障しAAA級落ち。以降一度もメジャーに昇格することはなく2014年オフにFAとなりました。

年度 年俸 差額 球団
2015 3億5000万円 オリックス
2016 3億5000万円 ±0 オリックス
2017 3億5000万円 ±0 オリックス
2018 3億5000万円 ±0 オリックス
2019 1億5000万円 -2億 巨人
2020 2000万円 -1億3000 巨人
2021 5000万円 +3000 巨人
2022 5200万円 +200 巨人

2014年オフにFAとなった中島宏之選手は日本球界復帰を示唆し、古巣・西武を含む複数球団の争奪戦の末オリックス・バッファローズと3年契約

2015年は開幕を一軍で迎え4番・一塁手として起用されるも、故障や不振により一軍・二軍を行き来する生活を送ります。

2018年は開幕から代打での起用が多くなり、シーズン終了後に減俸制限を上回る減俸を提示されオリックスを退団し自由契約に。

2018年11月22日に読売ジャイアンツと契約。2019年は開幕を一軍で迎えるも不振に陥り43試合の出場に留まり、次年度は1億3000万円減の2000万円で契約更改。

2020年は一転して好調を取り戻し6番・一塁手で開幕スタメン入り。通算100試合に出場し打率.297・出塁率.369と全盛期と遜色のない結果を残し、2021年の年俸は5000万円で契約を更改しました。

2021年はシーズンを通して勝負強い打撃でチームに貢献するも、途中移籍した中田翔選手に一塁手のレギュラーを奪われ代打要員への降格を余儀なくされます。最終的に打率.271・6本塁打・26打点を記録し、翌2022年の年俸は200万増の5200万円で更改。

中島宏之はなぜ西武に復帰しなかった?

前述の通り、中島宏之選手は日本球界復帰に伴う所属先としてオリックス・バッファローズを選びました。

複数球団の争奪戦には古巣・西武ライオンズも含まれていたのですが、なぜ西武ライオンズに復帰することを選ばなかったのでしょうか?

調べてみると、理由は2つあるようです。

1.オリックスが提示した年俸が最高だった

中島宏之選手が日本球界復帰を目指してまず契約したのは、敏腕代理人のスコット・ボラス氏でした。

これにより中島宏之選手の争奪戦はマネーゲームになります。

古巣・西武を含め阪神、オリックスが争奪戦に参加しますが、各球団が提示した年俸は以下の通りとなりました。

  • 西武:4年 総額10億円
  • 阪神:4年 総額12億円
  • オリックス:4年 総額15億円

オリックスが提示した年俸が最高額だったことに加え、地元関西に戻りたかったという中島選手の希望が一致したようです。

しかし中島選手は本当は阪神と契約して地元・神戸に戻りたかったが、代理人のスコット・ボラス氏がオリックスとのパイプを作りたかったという説もあります。

ライオンズには戻りづらかった

中島宏之選手が西武ライオンズにいた頃、2軍打撃コーチとして指導した田部監督は以下のように推察しています。

「ナカジは戻って来づらかったんでしょう。しかも一度ポスティングで出るといって、それがダメになって戻ってきて。

翌年にFAで移籍したのに、アメリカで結果を残せなかったし」

サンスポ.com

また他の西武OBは

「ナカジは胴上げまでされて出て行って、それでアメリカでダメだったからって、たった2年で戻ってこれないよ」

と同じような趣旨のコメントをしています。

確かに本人として複雑な心境にあったでしょうね。しかし他球団と契約された西武時代のファンも複雑な心境でしょう…。

中島宏之はなぜ巨人に移籍した?

2018年にオリックスを退団して巨人に移籍した中島宏之選手ですが、一体何があったのでしょうか?

前述の通り、2018年オフにはオリックスから減俸制限(40%)を超える推定1億円前後の年俸を提示され、これに中島選手本人が不服だったため退団となったようです。

これにより11月2日に自由契約となりますが、ここでラブコールを送ったのが巨人・原辰徳監督。

第2回WBC日本代表の監督として共に戦った原監督は中島選手について

「非常に魅力的な選手。私との相性もいい。」

とメッセージ。これに感激した中島選手は巨人との契約を決めたようです。

正式契約を発表される前には、以下のようなフライング気味の発言で巨人への想いを語っています。

「誰もが同じだと思うけど、野球選手は期待してくれる球団でプレーするのが一番。真っ先に声をかけてくれたのがジャイアンツ。今は”やったるで!”という気持ちで燃えたぎっています。」

中島宏之に引退の危機?

一部では中島宏之選手について「引退の危機では?」と囁かれることがあるようです。

38歳という年齢的に引退が見えてきていることに相まって、メジャーでは鳴かず飛ばずに加え日本球界復帰後も故障や不振で一軍での活躍は少なかったためでしょう。

しかし、そんな噂を否定するように2020年の中島宏之選手は大活躍!

前述の通り6番・一塁手で開幕スタメン入りを果たし、通算100試合に出場。

打率.297・出塁率.369の好成績を残し、巨人のリーグ2連覇に貢献。日本シリーズまで戦い抜きました。

来年の成績や体の調子が気になりますが、このまま活躍をキープできれば本人の気持ち次第というところではないでしょうか?

まとめ:中島宏之 年俸87%減も復活の兆し

中島宏之選手の年俸推移についてのまとめは以上です。

その年の活躍に応じての増減が顕著だった印象ですね。

野手史上最大という年俸87%ダウンの屈辱も乗り越え、復活の兆しが見られる中島選手。やはり期待されているという思いが力になるのでしょうか?

来年の活躍にも期待大です!

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