松井稼頭央の全盛期はいつだった?成績から徹底解説!筋肉がすごい!

元西武ライオンズの選手で、メジャーリーグでも活躍した松井稼頭央選手。

2018年に現役を引退しましたが、全盛期はいつだったのでしょうか?

今回の記事では、松井稼頭央選手の全盛期を成績から徹底解説!

すごすぎる!と話題の筋肉やなんj民の声もご紹介していきます。

松井稼頭央のプロフィール

出身:大阪府東大阪市

生年月日:1975年10月23日

身長・体重:177cm/85kg

ポジション:遊撃手・二塁手・外野手・三塁手

投打:右投両打

背番号:77

出身高校:PL学園高等学校

1993年のドラフト会議で西武ライオンズから3位指名を受け入団。PL学園時代は投手として活躍しましたが、プロ入り後は野手に転向。

日本人としては究極と評される身体能力で、俊足・巧打・長打・強肩・好守の5ツールプレイヤーとして「史上最強の一番打者」とも称されます。

2003年オフにニューヨーク・メッツに移籍し、日本人初の内野手メジャーリーガーとなります。その後コロラド・ロッキーズ、ヒューストン・アストロズでも活躍。

2010年に東北楽天イーグルスと契約し日本球界に復帰。2017年オフには古巣・西武ライオンズに復帰し2018年シーズンをもって現役を引退しました。

25年の現役生活の中で、スイッチヒッターとして史上初のトリプルスリー達成、2000本安打・200本塁打を達成するなど、華々しい記録を残しました。

松井稼頭央の成績

それでは早速、松井稼頭央選手の成績を西武時代・メジャー時代・日本球界復帰後の3つに分けて解説したいと思います!

「二代目ミスターレオ」の全盛期はいつだったのでしょうか?

第一次西武時代

年度 試合 打率 本塁打 盗塁
1995 69 .221 2 21
1996 130 .283 1 50
1997 135 .309 7 62
1998 135 .311 9 43
1999 135 .330 15 32
2000 135 .322 23 26
2001 140 .308 24 26
2002 140 .332 36 33
2003 140 .305 33 13

1994年の松井稼頭央選手は一軍出場はありませんでしたが、1995年に一軍に定着すると、以降二軍に落ちることはなく活躍し続けます。

1996年に開幕から遊撃手のレギュラーを掴み、シーズンを通して130試合にフル出場。それから2003年に西武を退団するまで8年連続で全試合出場を果たし、不動のレギュラー遊撃手として活躍します。

1997年にはオールスターゲーム初出場を果たし、1試合4盗塁の新記録を樹立しMVPを獲得。また、シーズン中は62盗塁を記録しパ・リーグ盗塁王を獲得。以降、1999年まで3年連続で盗塁王を獲得します。

1998年は自身初のシーズンMVPを受賞し、1999年は最多安打のタイトルを獲得。

2000年から3年連続で3割20本20盗塁を記録し、2002年にはスイッチヒッター史上初のトリプルスリーを達成しました。

2003年は自身初のスランプと評するほどの不振に陥りますが、打率.305を記録し1997年から7年連続で打率3割、170安打以上を記録

また、 遊撃手として最長・最多のベストナイン7年連続受賞を果たし、オールスターゲームにも7年連続で選出されました。

メジャーリーグ時代

松井稼頭央選手は2004年にニューヨーク・メッツに移籍し、その後コロラド・ロッキーズ、ヒューストン・アストロズと3球団を渡り歩き、合計7年間メジャーで活躍しました。

まずはニューヨーク・メッツ時代の成績からご紹介します。

年度 試合 打率 本塁打 盗塁
2004 114 .272 7 14
2005 87 .255 3 6
2006 38 .200 1 2

2004年は開幕戦でメジャー史上初となる開幕戦新人の初球初打席本塁打を放ち注目を集めました。

負傷が多く一時は故障者リスト入りするも、シーズン通算では1年目から規定打席に到達しチーム最多となる125安打・32二塁打・2三塁打を記録。しかし打率.272・7本塁打・OPS.727・14盗塁と物足りない結果に。また守備面では失策の多さが目立ちました。

2005年は二塁手に転向。前年に続き開幕戦で初打席本塁打を放ちますが、6月に故障者リスト入り。復帰するも右太ももの違和感で欠場が続くと、今季は87試合の出場に留まり、前年に比べ成績を落としました

2006年はオープン戦で右ひざを痛めマイナーで開幕を迎えました。メジャー昇格初戦では日本人初のランニング本塁打を放ちます。6月9日にイーライ・マレーロとの交換トレードでコロラド・ロッキーズに移籍となりました。

年度 試合 打率 本塁打 盗塁
2006 32 .345 2 8
2007 104 .288 4 32

2006年6月12日にコロラド・スプリングスに合流。守備位置が確定しておらず2年ぶりに遊撃を守るも、21日に腰痛で離脱。8月22日にメジャー復帰し、シーズン通算32試合出場・打率.345・2本塁打・8盗塁の結果を残しました。

2007年は腰痛で離脱し、復帰した5月15日時点でロッキーズは大きく負け越していましたが松井選手が2番に固定されるとチームは好調に

同年ロッキーズはリーグ優勝を果たし、球団創設以来初となるワールドシリーズに出場。元チームメイトの松坂大輔選手・岡島秀樹選手が所属するボストン・レッドソックスとの対決となり、松井選手は第3戦で松坂大輔投手から初回先頭打者安打を放ちます

チームは第4戦で敗れますが、自身はシーズン通算打率.288・OPS.847に加えリーグ9位の32盗塁を記録。少ない出場数にも関わらず好成績を残し、メジャートップクラスの二塁手に成長したと評されました。

オフにはFAとなり、12月2日にヒューストン・アストロズと契約

年度 試合 打率 本塁打 盗塁
2008 96 .293 6 20
2009 132 .250 9 19
2010 27 .141 0 1

2008年は開幕直前に臀部の手術で離脱するも、復帰後は2番打者として起用されチーム打撃成績が著しく上昇。チームの攻撃に好影響を与えたことを評価されました。

球宴後は1番打者で起用され、同年の1番打者としての成績は打率.295・OPS.851を記録。球場に関係なく好打率を記録したり、逆方向への長打を量産するなど走攻守すべてで活躍を果たしました。

2009年は5月25日に太ももを痛め、29日に6年連続9度目の故障者リスト入り。8月15日にはNPB/MLB通算2000本安打を達成日本プロ野球名球会入りを果たします。

シーズンとしては、メジャー移籍後最多の132試合に出場し2度目の規定打席到達。本塁打は自己最高の成績で得点圏OPS.952と日本人最高値を記録しました。

2010年は開幕翌日に先発を外されると、先発機会が激減。同時に打撃不振に陥り、直後に解雇となりました。

その後、コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結びます。しかしメジャー昇格を果たすことなくシーズンを終え、FAとなりました。

日本球界復帰 楽天~西武時代

年度 試合 打率 本塁打 盗塁
2011 139 .260 9 15
2012 106 .266 9 14
2013 125 .248 11 1
2014 128 .291 8 9
2015 126 .256 10 14
2016 56 .213 2 3
2017 44 .211 2 0

2010年11月25日に東北楽天ゴールデンイーグルスと2年契約を結び日本球界に復帰します。

腰痛や故障による離脱は多いものの、1番に定着し打率・打点・OPS・盗塁などでチーム上位の成績を記録。2012年には楽天イーグルス2代目主将に指名されました。

2013年チームは球団創設以来初のリーグ優勝を果たし日本シリーズに出場。松井選手は同年のシリーズ出場選手中最多となる9安打を放ち、打率も出場選手最高の.333を記録。チーム初の日本一に大きく貢献しました。

2014年に体の負担を減らすため三塁の守備に就くなど様々なポジションを経験し、翌2015年には外野手に本格転向

同年は規定打席には到達したものの、外野手登録選手として最低の打率・OPSを記録し2016年は極度の打撃不振に。以降、代走など起用法が安定しない出場が続きました。

2017年はNPB通算200本塁打を達成し、スイッチヒッター史上初の2000本安打・200本塁打達成を記録

同年11月16日に古巣・西武ライオンズへ選手兼テクニカルコーチとして復帰することが発表されました。

年度 試合 打率 本塁打 盗塁
2018 30 .154 0 1

2018年の出場試合はわずか30試合に留まり、9月25日に今季限りで引退することが判明

松井稼頭央選手の引退によって、本拠地が西武ライオンズ球場だった時代に西武に在籍した選手は全て現役を退きました。

松井稼頭央の全盛期は第一次西武時代

ここまで松井稼頭央選手の現役時代の成績を3つの項目に分けてまとめてきましたが、全盛期は第一次西武ライオンズ時代で間違いないと思います!

もっとも、メジャー挑戦後はケガや故障が相次ぎ、さらにはイップスだったという話もあります。100%の状態でプレーできていたことが少なかったと思いますが…

しかし、日本人初の内野手メジャーリーガーとして活躍し、第一次西武時代とは見劣りする成績ですが各チーム内で重要な役割を果たしていたことがわかります!

ロッキーズ時代には球団初のリーグ優勝に貢献したり、さらに日本球界復帰後には楽天イーグルスの初リーグ優勝・日本一に貢献する活躍を見せています。

全盛期として挙げるならば間違いなく第一次西武時代ですが、現役引退まで存在感抜群のスター選手でした!

【番外編】スイッチヒッター・松井稼頭央の誕生秘話

1994年の松井稼頭央選手は一軍出場はなし。プロ入り後に野手に転向しますが、悪送球が多く、走塁も素人同然。バッティングもどうしようもないスイングだったというのだから驚きです。

同年、右打ちからスイッチヒッターに転向しますが、当時の打撃コーチを務めていた谷沢健一氏が「左で振ったことがあるか?」と思い付きで聞いたのがきっかけだったそう。

その後は自身の努力によりみるみる左打者の打ち方を吸収していきます。

成績こそ残ってはいませんが、このプロ1年目の二軍生活が大きな転機であったことは間違いなさそうです。

松井稼頭央の筋肉がすごい!

松井稼頭央選手の華々しい活躍の数々を支えたのは並外れた身体能力の高さだといいます。

なんと日本人としては究極と評されるほどの身体能力で周囲の誰もが一目置いていたレベルだったそうです!

全身バネとも称される身体能力体脂肪率1桁の筋肉質な体で華麗なプレーとパフォーマンスを見せファンを魅了してきました。

特に瞬発力やスピードを生み出す速筋繊維が優れていると分析され、野球以外に陸上競技でも活躍したのではと言われるほど。

また、松井稼頭央選手の身体能力の高さは「スポーツマンNo.1決定戦」に出演した際にも話題になりました。

松井稼頭央の全盛期について なんjでは

松井稼頭央選手の全盛期について、実際にプロ野球ファンのみなさんはどう感じているのでしょうか?

プロ野球ファンにはお馴染み、なんjの声をご紹介します!

1: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:29:50 ID:bcRnOi8Q
坂本、鳥谷を余裕で超えるレベル?
 
2: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:30:49 ID:81vEOv+4
その二人じゃ話にならないレベル
 
5: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:30:58 ID:PLLzSkhV
パワプロでほぼオールAになるレベル(KONAMI)
 
29: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:33:44 ID:VOhFGCVQ
トリプルスリーの日本を代表する遊撃手
メジャーで成功するって殆どの奴が信じて疑わなかった
 
43: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:35:44 ID:QOQgjxHK
メジャーで糞だったという風潮だけど
今の基準から言えば大成功だよね
 
46: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:36:08 ID:r8HYsPvQ
メジャーの二塁手でゴールデングラブ級の評価を得た
それだけで凄いだろ
当時は期待値のせいでショート失格ばっかり印象に残ってるけど

 

49: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:36:30 ID:5dv+2G7/
成績は言わずもがな、華のあるスーパースターや

 

57: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:37:05 ID:VLAWHNS1
メジャーでカズオが通用しないなら日本人ショートは誰も通用しないと確信できるくらい別格

 

だからこそガッカリ日本人メジャーリーガーは誰かって聞かれたらワイはカズオって答えてるわ

 

77: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:39:17 ID:4D8qCQXC
40近くでなおNPB優勝チームのショートレギュラー上位打線にいる
 
181: 風吹けば名無し 2013/09/25 21:53:42 ID:0YttRCKH
実際、選手の凄さって記録よりも記憶だよね

残念ながら私は松井稼頭央選手の全盛期を見ていなかったのですが、坂本勇人選手・鳥谷敬選手では話にならないレベルというのがわかりやすくて衝撃的ですね!

それだけすごい選手で期待されていたからこそ、メジャーでの成績にガッカリとの声もありましたが最高の褒め言葉ですよね。

まとめ:松井稼頭央の全盛期がすごい

松井稼頭央選手の全盛期についてのまとめは以上です。

今の時代トリプルスリーでもすごいのに、5ツールプレイヤーとは驚きでした!

私の周りの野球経験者の皆さんも「松井稼頭央に憧れてた」という方は多い印象ですが、改めて調査してみるとスゴイの一言ですね。

数字だけではわからない実際の活躍も見てみたかったと思いました!