松坂大輔の全盛期はいつ?成績や球種、甲子園伝説についても解説

「平成の怪物」と呼ばれ、日本のみならずMLBでも活躍した松坂大輔選手ですが、全盛期はいつ頃だったのでしょうか?

今回は松坂大輔選手の全盛期を成績や球種から紐解いていきます!

プロ入り前の甲子園伝説など、松坂大輔選手の野球人生全般をまとめてみました!

松坂大輔のプロフィール

出身:東京都江東区

生年月日:1980年9月13日

身長・体重:182cm/92kg

ポジション:投手

投打:右投右打

背番号:16

高校時代は横浜高校のエースで、春夏連覇を達成。また、1998年夏の甲子園では決勝戦でノーヒットノーランを達成しました。

1998年のドラフト会議で日本ハム・横浜ベイスターズ・西武ライオンズの3球団競合の末、西武ライオンズに入団

入団1年目は新人王・ゴールデングラブ賞を受賞し、高卒史上初となるベストナインを受賞しました。

NPB時代は21世紀初の沢村賞受賞パリーグ投手最多となる7回のゴールデングラブ賞を受賞

2006年オフにボストン・レッドソックスと契約。2007年に同チームでワールドシリーズ優勝を経験しました。

2014年はソフトバンク・ホークスと契約しNPB復帰。2017年からは中日ドラゴンズと契約し2018年にカムバック賞を受賞。

2019年12月3日に西武ライオンズと契約し現在に至ります。

松坂大輔の全盛期はいつ?

甲子園から日本プロ野球、メジャーリーグと多くの舞台で活躍をしてきた松坂大輔選手。

色々とターニングポイントはあると思いますが、全盛期はいつだったのでしょうか?

高校時代・日本プロ野球時代・メジャー時代と3つの時代の成績から検証してみます!

高校時代

高校時代は横浜高校のエースだった松坂大輔選手。

3年時の1998年は甲子園の春夏連覇を達成しますが、この夏の大会で松坂選手は伝説を残します。

まずは準々決勝の対PL学園戦で延長17回・250球を投げ抜き完投勝利

そして準決勝も勝ち上がり決勝戦。対京都成章戦では史上2人目となる甲子園決勝戦ノーヒットノーランを達成し、春夏連覇を果たしました!

この2つは松坂大輔選手の「甲子園伝説」として語られています。

また、当時の高校球児には大西宏明(元オリックス)・平石洋介(元楽天)・藤川球児(阪神)や村田修一(元巨人)など、いわゆる「松坂世代」と呼ばれる優秀な選手が揃っていました。

その中で横浜高校の春夏連覇の立役者となった松坂選手の実力は素晴らしいものだったことが伺えますね。

日本プロ野球時代

松坂大輔選手のメジャー移籍前の8年間の通算成績は以下の通りです。

勝利 敗戦 奪三振 防御率
通算 108 60 1355 2.95

150km/hを超えるストレートとキレのあるスライダーで奪三振の山を築きます。

ルーキーイヤーにはプロ初先発で155km/hのストレートで日ハム・片岡篤史から三振を奪い、イチローとの初対決では3打席連続三振とほぼ完璧に抑えたことが話題になりました。

また、1年目にオールスターゲームで先発投手に選ばれ高卒新人史上最多の5奪三振を記録。この試合の最優秀選手賞、オールスター新人賞を受賞しました。

9月にはシドニー五輪予選の日本代表に最年少で選出され、1失点完投勝利を挙げて日本の五輪出場に貢献します。

獲得したタイトルと受賞歴は以下の通りです。

1999最多勝(16勝)
ゴールデングラブ賞(初)
ベストナイン(初)
新人王
2000最多勝(14勝)
ゴールデングラブ賞(2回目)
ベストナイン(2回目)
2001沢村賞(初)
最多勝(15勝)
ゴールデングラブ賞(3回目)
ベストナイン(3回目)
2002なし
2003最多奪三振(2回目)
最優秀防御率(初)
ゴールデングラブ賞(4回目)
2004最優秀防御率(2回目)
ゴールデングラブ賞(5回目)
2005最多奪三振(3回目)
ゴールデングラブ賞(6回目)
2006ゴールデングラブ賞(7回目)

1999年のベストナイン受賞は高卒史上初の快挙であり、ゴールデングラブ賞7回受賞はパリーグ投手史上最多の記録です。

また、この他にアテネ五輪で銅メダルを獲得、第1回WBCでは先発した全ての試合で勝利投手となり大会の最優秀選手に選ばれました。

日本プロ野球時代ではルーキーイヤーとWBCでの活躍が最も目立つ成績のようで、この時期が全盛期として最も挙げられているかと思います。

メジャー時代~NPB復帰

勝利 敗戦 奪三振 防御率
通算 56 43 720 4.45

2006年オフにポスティングによる海外移籍を決定。ボストン・レッドソックスが独占交渉権を獲得し契約に至りました。

移籍1年目は日本人史上初・メジャーでは史上5人目となるメジャー1年目での15勝と200奪三振を達成します。

また同年のワールドシリーズ第3戦で日本人史上初となるワールドシリーズ先発を果たし、勝利投手となりました。

チームは翌日の第4戦も勝利しワールドシリーズ優勝。これにより史上初のWBCとワールドシリーズの両方で優勝を経験した選手になりました。

2009年の開幕後に右肩の疲労で故障者リスト入りすると毎年怪我に悩まされるようになり成績も下降。2011年には右肘の張りでトミー・ジョン手術を受けます。

2013年にグリーブランド・インディアンスに移籍し、ニューヨーク・メッツを経て2014年オフにソフトバンク・ホークスと契約しNPBに復帰します。

NPB復帰後も怪我での離脱とリハビリ生活が大半で、ソフトバンク時代3年間での公式戦登板はわずか1試合となりました。

2017年オフに中日ドラゴンズの入団テストに合格し契約。2018年は6勝4敗と復活をアピールしカムバック賞を受賞しました。

しかし2019年は春季キャンプで右肩を故障し、一軍登板はわずか2試合に。オフには退団し、12月3日に西武ライオンズが獲得したことが発表されました。

松坂大輔の低迷の原因は故障?

高校時代からルーキーイヤー、メジャー移籍と華々しい記録を残してきた松坂大輔選手ですが、低迷の原因はどうやら故障のようです

レッドソックス時代の2009年に右肩の疲労を理由に故障者リスト入りし、翌年も背中の張り・首の張りで開幕を故障者リスト入りで迎えます

2011年には右肘の張りが生じトミー・ジョン手術を受け、球速が落ちカーブの投球割合を増やすなど投球内容に影響を与えます。

NPB復帰後も右肩の疲労で離脱し、内視鏡下による「右肩関節唇及び腱板クリーニング術」「ベネット骨棘切除術」「後方関節包解離術」を受けます。

その後リハビリを経て登板するも1回で被安打3、与四死球4、暴投1の5失点と大炎上し、ソフトバンク時代の公式戦登板はわずか1試合となりました。

2017年オフにはソフトバンクより翌年から育成契約かコーチ契約を結んだ上でのリハビリを打診されましが、松坂選手はこれを拒否し退団。

2018年に中日ドラゴンズに移籍しカムバック賞を受賞しますが、2019年の春季キャンプで再び右肩を故障し二軍生活が続きました。

2020年7月には首の痛みと右手のしびれ対策のため脊椎内視鏡頸椎手術を受けたと発表。

今後の活躍がどうなるかわかりませんが、満身創痍であることは確かなようです。

松坂大輔の球種・球速は?

松坂大輔選手の球種は以下の通りです。

  • ストレート
  • スライダー
  • 縦スライダー
  • カットボール
  • カーブ
  • シュート
  • フォーク
  • チェンジアップ

特にシュートしながら伸びるようなストレートとキレのあるスライダーが特徴。

ストレートは1シーム・2シーム・4シームと動くボールも使っていたようで、かなり多彩な変化球を操ることができたのだと考えられます。

全盛期は球速156km/hを記録したほどのため、ストレートで押していく投球スタイルでした。

しかし手術や加齢の影響で現在の球速は最速142km/hほどに落ちてしまったため、カットボールやスライダー・カーブなどの変化球で緩急をつけた投球スタイルに変わっています。

まとめ:松坂大輔の全盛期は高校~ルーキーイヤー

松坂大輔選手の全盛期についてのまとめは以上です。

やはり松坂選手の全盛期としては高校時代の甲子園伝説の記憶が新しいままに鮮烈なデビューを果たしたルーキーイヤーかと思われます。

その後もWBCやメジャー移籍、ワールドシリーズ優勝などターニングポイントがありますが、最もファンの記憶に残っているという意味でも全盛期と言うに相応しいのではないでしょうか?

現在は度重なる怪我や手術で満身創痍のようですが、古巣の西武で復活を遂げられることを応援しています。