元巨人・高橋由伸が「悲劇の天才」と呼ばれる理由とエピソード3選

17年の現役生活から巨人の監督に就任し、わずか3年で巨人を去った高橋由伸。

天才的な打撃センスと全力プレーの守備がファンを魅了し一躍スター選手となった高橋由伸ですが、実は「悲劇の天才」と呼ばれることを知っていますか?

高橋由伸の野球人生とは一体どんなものだったのでしょうか?

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高橋由伸のプロフィール

出身:千葉県千葉市中央区

生年月日:1975年4月3日

身長・体重:180cm/87kg

ポジション:外野手・一塁手

投打:右投左打

背番号:24

出身大学:慶応大学

「天才」と称されることがある高い打撃技術と天性のタイミングの取り方を持ち味とし、早打ちの傾向があるため初球から積極的にスイング

右足を高く上げる一本足打法でどんなボールにもフォームを崩さずに安定した対応ができる柔軟さを併せ持ちます。多少のボール球でも安打を放つことができる技術の高さが特徴です。

守備は主に右翼手としてプレー。フェンスへの衝突を恐れない積極的な守備と、遠投120mの強肩と正確さを併せ持つ選手です。右翼守備の評価は高く入団1年目から6年連続でゴールデングラブ賞を獲得するというNPB記録を持っています。

このように攻守にわたり非凡な野球センスを持ち合わせていますが、本人は野球そのものはあまり好きでもなかったそう。父や兄弟など周囲の人が喜んでくれるので続けた面もあると後に語っています。

またこのような天才的な活躍に加え端正な顔立ちで入団当初から人気は爆発。オールスターゲームにはファン投票で新人史上最多の51万4351票を獲得して選出され、一躍スター選手の仲間入りを果たしました。

高橋由伸の天才エピソード3選

非凡な才能で「天才」と称される高橋由伸選手ですが、彼が現役時代に残してきた偉業と天才エピソードを振り返ってみましょう!

1.川上憲伸との新人王争い

高橋由伸選手は入団1年目にして驚異的な高成績を残し新人王候補に選出されます。

98年のセリーグ新人王は4人の候補が選出され「球史に残るハイレベルな新人王争い」と言われています。

  • 川上憲伸:26試合 14勝6敗 防御率2.57
  • 高橋由伸:126試合 打率.300 19本 75点 OPS.852
  • 小林幹英:54試合 9勝6敗18S 防御率2.87
  • 坪井智也:123試合 打率.327 2本 21点 OPS.797

激戦となった新人王レースは川上111票、高橋65票、坪井12票、小林5票の結果で川上憲伸選手が受賞しました。

最終的に直接対決で川上選手が高橋選手を22打数1安打と完璧に抑えていたことが決め手となったと言われます。

新人王は逃しましたが、候補となった全選手が新人王に値する成績だったことから高橋選手・小林選手・坪井選手にはセントラルリーグ特別表彰が贈呈されました。新人に対しての特別表彰は史上初のことでした。

2.新人から2年連続3割達成

入団1年目から華々しい高成績を残した高橋由伸選手ですが、その勢いは2年目も止まりません!

春季キャンプで長打力がアップした高橋選手はオープン戦で6本塁打を記録。勢いそのままに開幕戦から3試合連続本塁打を記録し、4月には打率.433、8本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得します。

5月5日にはプロ2年目にして4番打者に指名され、以降チームメイトの松井秀喜選手やヤクルトのロベルト・ペタジーニ選手と熾烈な本塁打王争いを繰り広げます。

しかし9月14日の中日戦にて外野フェンスに激突し鎖骨骨折の重傷で離脱しシーズンを終了。

この故障により本塁打王は逃しましたが、最終的に打率.315、34本塁打、98打点を記録しました。

終盤の離脱がありながらも前年を上回る成績を残し、初のベストナインに選出される快挙も成し遂げました。

3.史上最速1億円プレイヤーに

上述の通り、2年目も打率3割を達成するなど素晴らしい成績を残した高橋由伸選手。

さらに初のベストナイン選出と2年連続のゴールデングラブ賞獲得が評価され、オフの契約更改では年俸6100万円アップの1億円でサイン

2年目での1億円到達は史上最速でした。

その後も順調に年俸は上昇していき、最高年俸は3億5000万円になりました。

「悲劇の天才」怪我に苦しんだ現役時代

フェンスへの衝突を恐れない積極的でアグレッシブな守備が魅力の高橋由伸選手ですが、それ故に怪我の多い現役時代でした。

「プロ15年間の3分の2は怪我との付き合い」と言われるほど怪我・離脱が多かった高橋由伸選手。

2004年以降はほぼ毎年のように負傷離脱し、2008年には腰痛が悪化。2009年には”失敗したら一生車椅子生活になるかもしれない”という大手術を乗り越え、長年腰痛と戦っていたそうです。

そして何より、高橋由伸選手の怪我の原因で多いのはフェンス際での守備やダイビングキャッチです。

このことから、2006年には原監督からダイビングキャッチ禁止令を言い渡されたこともあるそうです。

しかし本人は「捕れると思った瞬間には飛びついてしまう。怪我のことなんか考えられない」とコメントしています。なんとまぁ、すごい…。

高橋由伸はタイトルを獲得していない

天才的な打撃センスや新人時代の華々しい活躍から、獲得タイトルや通算成績など超一流の記録を残していくことが期待された高橋由伸選手。

しかし、実際はゴールデングラブ賞7回受賞、ベストナイン2回選出といった受賞歴のみで打撃タイトルは獲得できずに現役生活を終えました

理由は、度重なる怪我での離脱により出場試合数が安定しなかったことです。2005年以降は規定打席を上回ったシーズンは2007年の1回だけとなりました。

また復帰後も怪我の後遺症で思うように成績を伸ばすことができなかった年もあります。

高橋由伸の個人成績

前述のように度重なる怪我に悩まされながらも1500本安打・300本塁打を達成し通算成績も一流の成績を残した高橋由伸選手。

それでも「残念」と言われてしまうことが天才の証でしょうか。

年度 試合 本塁打 打率 長打率 出塁率
1998 126 19 .300 .496 .356
1999 118 34 .315 .588 .378
2000 135 27 .289 .505 .352
2001 140 27 .302 .499 .364
2002 105 17 .306 .474 .365
2003 118 26 .323 .573 .379
2004 109 30 .317 .580 .387
2005 88 17 .298 .502 .367
2006 97 15 .260 .434 .320
2007 133 35 .308 .579 .404
2008 91 17 .236 .462 .322
2009 1 0 .000 .000 .000
2010 116 13 .268 .439 .364
2011 95 15 .246 .473 .357
2012 130 8 .239 .351 .356
2013 68 10 .303 .533 .416
2014 72 6 .286 .482 .369
2015 77 5 .278 .429 .386
通算 1819 321 .291 .503 .366

高橋由伸 巨人監督時代【またしても悲劇】

現役続行の意向を示していた高橋由伸選手、イヤイヤ引き受けたとも言われていた巨人監督ですが悲しいことにまたしても悲劇に見舞われてしまいます。

突然の引退と監督就任

2015年シーズンを終え、クライマックスシリーズ敗退を受けて今季限りでの勇退を表明した原監督の後任として高橋由伸選手は球団より監督就任要請を打診されました。

2015年シーズンは打率.287・代打打率.395を記録し翌シーズンも現役続行の意向を示していた高橋由伸選手ですが、最終的には監督を引き受けることを決め、引退試合すら行われず現役生活を終えてしまいます。

しかしこの監督就任に関して、球団側に半ば外堀を埋められていた状態であったようです。

巨人内部から意図的に各メディアに情報を流して報道させることで、『新監督は高橋で決まり』という雰囲気を作りました。

長嶋茂雄終身名誉監督の発言もそうです。 これまでは『松井だ、江川だ』と言っていた長嶋さんが、球団が由伸に監督要請をした直後に、『次は高橋由伸君しかいない』と言い出した。これはあまりに不自然ですよ。用意周到すぎます。

シーズン終了後には、原監督が高橋を食事に誘い『俺がついているから、(監督を)やってくれ』と説得したとも聞いています。

週刊現代

また高橋由伸選手が監督要請を受けた10月は、巨人選手の野球賭博問題が発覚し球団が大荒れとなっていた頃

不安定な状態でのスタートとなることをわかっていて引き受けたその覚悟と男気に感動します。

3日後の就任会見。「球団の方たちも相当の覚悟があってのことだと思いますし、僕自身も覚悟を持って決断しました」と言った。「覚悟」という二文字を何度も使っていた。

06年から2度目の指揮を執った原辰徳監督が辞任した。以前から次期監督の筆頭候補だった松井秀喜氏に引き受ける意思はない。

しかも、スター選手でもあった名将の後釜である。球団からしてみれば、スター選手の高橋由伸に頼るしかなかった。そんな背景を十分に理解し、引退を決断した。

Sponichi Annex

元々、野球自体もそれほど好きではなく周囲が喜んでくれるからと続けてきたという野球。

巨人入団にも、お父様の借金が原因であったという噂もあります。

引退も球団側の背景を理解して決断する…

高橋由伸選手は、最後まで周囲の人のために自分を動かせる人なんですね。

チームワーストの13連敗 3年間で優勝なし

現役への未練を断ち切り新監督を引き受け、大波乱の巨人軍を背負うことになった高橋由伸監督。

しかしその決断はなかなか報われず、開幕直前の3月には高木京介の野球賭博関与が発覚。

監督就任初のゲームは高橋新監督の謝罪からスタートするという、なんとも出鼻をくじかれる事態となってしまいます。

その幸先の悪さも影響してか、監督時代の3年間の成績は不振に終わってしまいます。

2016
リーグ2位でクライマックスシリーズに進出するも、3位DeNAに敗れ5年ぶりにファーストステージで敗退。

開幕から4連勝を達成するなど序盤は好調だったが、開幕に間に合わなかったマイコラスを始め先発候補の多くが故障離脱。加えて6月に小林誠司が死球を受けて故障離脱し失速。

チームの主力の高齢化が問題となり「若手育成」に舵を切るも、原巨人時代の功労者の衰えを実感させるシーズンとなってしまった。

2017
広島を除くセリーグ4球団に勝ち越したものの、広島に大きく負け越して2連覇のアシストになってしまう。最終的にDeNAと2ゲーム差の4位となりCS進出を逃した。Bクラスの成績は2006年以来。

また、5月25日から始まった連敗が球団ワーストの13連敗を記録、CS進出を逃すのは球団史上初であった。

昨シーズンオフに約30憶と言われる資金をつぎ込みマギー・カミネロ・陽岱鋼・山口俊・森福允彦といった大型補強を行うも不発に終わってしまった。

2018

MLBから上原浩治が復帰したものの、昨年同様に補強組は不発、更には坂本やマシソン、吉川尚輝など故障者が続出し優勝争いができず。

苦しい中リーグ3位を確保しCSに進出、ファイナルステージ進出を果たすも広島に3連敗し敗退。12年ぶりとなるシーズン負け越しで4年連続のV逸となった。

しかし岡本和真の4番定着、吉川尚輝が二塁手として頭角を現し始めるなど若手育成の成果が現れ始めたシーズンだった。

2018年10月3日、クライマックスシリーズ開幕を前に高橋由伸監督は辞任を表明。

球団側からは岡本・吉川尚輝など若手育成の実績を挙げたことから続投を要請されたが、優勝できなかった責任を感じていたようです。

プロ野球巨人の高橋由伸監督(43)が3日、今季限りでの辞任を表明した。同日、広島市内で報道陣の取材に応じ「チームの勝敗は監督が背負うもの。成績がよくない。責任を取らないといけない」などと述べた。

辞任の理由について高橋監督は、リーグ3連覇を果たした広島に3年とも10ゲーム差以上つけられていることを念頭に「優勝争いというところまで、行けなかった」と語った。残りのシーズンは、引き続き指揮を執る。

朝日新聞DIGITAL

なお、優勝がなかった巨人の監督は堀内恒夫氏に次いで二人目でした。

野球賭博問題、チーム主力の高齢化、多発する故障者に不発のFA補強組など不運に見舞われた3年間を終え、高橋由伸は21年間着続けた巨人のユニフォームを脱ぐこととなりました。

巨人ファンからは辞任を惜しまれる声も多かったですが、それと同じくらい「ようやく解放されるのか」という声も多かった印象です。

高橋由伸の現在は?

史上最弱の巨人を率い、3年連続V逸の責任を負ってユニフォームを脱いだ高橋由伸氏。

現在は何をしているのでしょうか?

球団特別顧問に就任 野球解説者や野球評論家にも

高橋由伸氏は監督辞任後、読売巨人軍球団特別顧問に就任しました。

また、日本テレビ野球解説者スポーツ報知の野球評論家にも就任されています。日テレの野球中継を見てると、たまに解説で由伸さんが出演していますよね!

さらにはnews zeroのスポーツコメンテーター(野球解説)としてご出演されています。キャンプの取材やイチロー氏、松井秀喜氏の取材をされていたりと活躍されています!

個人的にはnews zeroの由伸さんのコーナーはとても好きです。特に広島・鈴木誠也選手に夫婦円満の秘訣をアドバイスしている回が、後輩の面倒見が良く優しかったという由伸さんの人柄が見えたようでお気に入りです(笑)

何より一ファンとして、由伸さんの表情が柔らかく笑顔が増えたことが嬉しくてつい見てしまいます。

インスタグラムを開設

ブログなどやっていないか調べてみましたが、インスタグラムを開設されているようです!

頻繁ではありませんが、たまに更新されています。

監督再就任はある?

高橋由伸選手のファンだった方は特に気になるところではないでしょうか?

実際のところはわかりませんが、気になる記事がありました。

指導者として志半ばに終わった高橋氏本人も期する思いは強い。「負けたままでは終わりたくない」と将来的な監督再登板に意欲を示している。

ファンからも「由伸さんはスーパースター、バックネット裏で野球を勉強して、また巨人の監督に戻ってきてほしい」という声が多い中、SNSでは「原(辰徳)監督が強いジャイアンツを作って、高橋由伸が他球団の監督として対決する姿も見たい」という書き込みも。

まだ43歳。再び監督としてユニホームに袖を通す日が楽しみだ。

AERA dot.

監督を辞任した後も球団特別顧問に就任していることから、将来的にもう一度監督に就任するのでは?とも言われているようです。

また、野球解説者や評論家の経験で外から野球を学び、再び監督として指揮をとってほしいという意図が球団側にはあるのでは?と噂されています。

体制が整わないままで進んでいった由伸政権だったので、また期を改めて監督として大活躍される姿が見られたらファンは嬉しいですよね。

まとめ:多くの悲劇に見舞われた天才・高橋由伸の野球人生

高橋由伸選手の「悲劇の天才エピソード」まとめは以上です。

多くの怪我を経て満身創痍ながら、まだまだバットマンとして活躍できると証明した2015年オフの衝撃の引退と監督就任。

不運の3年間を駆け抜け巨人を去ってしまった高橋由伸氏。

多くのことにタラレバと疑問符を投げかけたくなり、複雑な心境に彼を「悲劇の天才」などと呼んでしまいますが、今回の調査で出会った記事にはっとさせられました。

悲劇の天才なんて僕らが勝手にそう言っているだけで、きっと本人は日々を信念をもって歩き続けてきただけなんだろう。すべてを受け入れて前に進んできただけなんだろう。

僕たちは彼を天才と呼んで、そこに悲劇なんて言葉を安易につけて、その言葉の檻に彼を閉じ込めようとした。

悲劇の天才を演じるために打席に立つのではない、ただ野球をするために打席に立つのだ。

わかった。監督という打席に、代打として立ったのだ。ただ野球をするために。

僕らはずっと、高橋由伸を失ったままなのか(文春野球)

高橋由伸氏は選手としても監督としても、ただ一生懸命野球をしてきただけ。ただ、みんなが高橋由伸選手の天才的な打撃に心を躍らせただけに、残念でならない気持ちを「悲劇の天才」と表して押し付けているのかもしれない。

もう一度監督になって華々しい成績を残して、今度は「喜劇の天才」と呼ばれるようになってほしいです!

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